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東京地方裁判所 昭和33年(行)178号 判決

原告 ヘンリー・ワタナベ

被告 大蔵大臣

訴訟代理人 広木重喜 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告の申立

被告が昭和三三年一〇月八日附蔵理第八〇七一号を以つて別紙目録記載の外貨債に対する有効化申請を拒否した処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告の申立

(本案前の申立)

本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。

(本案の申立)

主文同旨の判決を求める。

第二、原告の主張(請求原因)

一、原告は、アメリカ合衆国で出生した日系米国市民で、別紙目録記載の外貨債証券(以下本件外貨債証券または単に本件証券という)の所有者で、かつ、その正当な所持人である。

二、ところが、右外貨債は、原告の知らない間に、旧外貨債処理法(昭和一八年法律第六〇号)により借換えられ、無効とされている。すなわち、原告の父訴外亡渡辺治郎作の家督相続人訴外渡辺時司(治郎作の長女花子の婿養子)は、昭和一七年二月一二日右治郎作の死亡により、本件外貨債の所有権を承継したものとなし、昭和一八年七月二日旧外貨債処理法施行規則第九条第三項所定の所有及び証券の額面金額の種類記号番号につき大蔵大臣の証明(以下所有証明と略称する)を受けた上この証明書を本件外貨債証券に代え右外貨債の発行者に提出し、借換の承諾をしたため、本件外貨債は、同法第二条により邦貨債に借換られるに至つた。

三、そこで、原告は、昭和三三年七月八日旧外貨債処理法による借換済外貨債証券の一部有効化等に関する法律(昭和二六年法律第二八九号、以下本件においては外貨債有効化法または単に有効化法と略称する)第三条により、本件外貨債証券には、借換に際し、穴あけ、記載事項の抹消その他当該証券を無効とする行為がなされておらず、かつ、借換につき証券の所有者である原告の承諾を得ていないことを理由に、被告に対し、同条に規定する有効化指定の申請をなしたところ、被告は、同年一〇月八日附蔵理第八〇七一号大蔵省理財局長名原告宛書面を以つて、原告申請の外貨債有効化の事案については、外貨債有効化法の規定により有効化すべき場合に該当する事案であると認めることは困難である、との通知をなし原告の申請を拒否する旨の処分をなした。

四、しかしながら、本件外貨債証券は、前記のとおり、借換に際し、証券に穴あけ、記載事項の抹消その他証券を無効とする行為がなされておらず、かつ、つぎに述べるところから明らかなように、借換について証券の所有者の承諾を得ていない場合に該当し、被告としては、当然原告の申請を容れ有効化の指定をなすべきであつた。しかるに、被告ことこゝに出でず、原告の右申請を拒否した処分は違法であつて取消さるべきものである。

(一)、外貨債有効化法は、戦時中証券の回収なくして不当に借換えられたら外貨債の救済を図るため、同法第三条において、大蔵大臣に有効化指定の権限を与え、同時に義務を課したものと考えられる。従つて、同条の指定については、処分の性質上行為の主体たる被告に当該行為が適法になされたことを立証する責任があると解されるのみならず、本件外貨債証券は、いわゆる債権的有価証券に属する無記名債権であるから、有価証券理論上、証券の所持者即所有者との推定を受け、原告は、右証券を所持していることを主張立証することにより、他に何等の証明を要せずして当然に本件外貨債証券の所持者と認められるべきものである。

しかして、この法理は独り私法上の場合のみに限らず、公法上の関係においても当然に妥当し、被告が行政庁として外貨債の有効化指定をなし、または、指定を拒否するに当り、有価証券の所有者を決定するについては、有価証券に関する前記法理の拘束を受けるものである。ところで、原告は、昭和一三年末頃原告の父亡治郎作と共同で、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル市シアトル・フアーストナシヨナル銀行から、同銀行の保管箱第三三五三号を賃借し、父と共同で同保管箱に本件外貨債証券を所持していたが、昭和一五年六月右治郎作が日本に渡航した際同人から右保管箱の鍵の交付を受け、原告のみが保管箱の内容品を支配するに至つたので、爾来本件外貨債証券は、原告の単独所持するところとなり、その後数回、原告が単独で前記銀行から賃借した保管箱に移したが、昭和二九年一二月一一日以降は原告の自宅で直接所持しているものであつて、原告が昭和一五年七月以降昭和一六年一一月までに満期になつた利札を現金化していること、現在本件外貨債証券を所持していることは、原告が昭和一五年七月以降継続じて本件外貨債証券を所持していることを示している。従つて、本件においては、原告が右所持の立証をしさえすれば、原告は本件証券の所有者としての推定を受け、被告において、原告が所有者でないことを立証しない限り、原告を本件証券の所有者として取扱うべきものである。

(二)、つぎに、原告は、以下に述べる経緯により、本件外貨証券の所有権を取得した真の所有者である。

(1)、原告の父亡治郎作は、生前アメリカ合衆国シアトル市で農産物仲買業を営んでいたが、原告が昭和一三年大学卒業後、同年四月エ・ビ・プロデユウスカンパニーなる株式会社を設立し、父の事業を引継いでからは、事実上事業から隠退し、専ら原告が他の二世等と共にその経営に当つていたところ、右会社の取引先であるシアトル・フアーストナシヨナル銀行から信用が得られ、融資に便利であるという理由から、原告と治郎作は共同して、原告の母サクが自ら保険料を支払つていた保険証券を現金化したものと、原告が学生時代から働いて貯蓄していた預金及び父治郎作の所持金を合せた合計約一万二千ドルを資金として、同年九月から一〇月に至るまでの間、本件外貨債を訴外二上松郎から買受け、これを共有することとなつたが、原告と父との間で持分につき別段の定めをしなかつたので、各自の持分は各二分の一であつた。しかして、本件外貨債を父の単独所有または母を加えた三名の共有としなかつたのは、銀行に対する信用の便と父の隠退後家族の扶養の責任を原告が負つていたからである。

(2)、その後、父治郎作は、昭和一五年五、六月頃アメリカを引揚げ、日本に帰国することとなつたが、同人はその際渡航費として原告から金五、〇〇〇ドルを借受け、その担保として、本件外貨債に対する二分の一の持分につき、同人が米国へ帰れない場合、融通金五、〇〇〇ドルを返済できない場合及び原告が緊急に資金を必要とする場合は、代物弁済として本件証券に対する右持分を原告に譲渡する旨の代物弁済条項付質権を設定し、右証券を保管していた保管箱の鍵をも原告に交付し日本へ帰国したのである。ところが、昭和一六年一二月八日日米間に戦争が勃発したので、事実上治郎作の帰米及び前記金員の返済が不可能となり、仮りに、そういえないとしても、同人は昭和一七年二月一二日日本において死亡したので、このことにより同人の帰米及び右金員の返済が不可能となり、前記契約の条件が成就し、前記約旨により、亡父の持分は原告の所有に帰属したものであつて、爾後本件外貨債証券は全部原告の単独所有となつたもである。

五、以上により、本件外貨債は、借換につき所有者の承諾を得ていない場合に該当するから、被告のなした本件拒否処分は違法である。よつて、原告は、右処分の取消を求める。

第三、被告の主張

一、本案前の主張と、原告の答弁に対する反駁

(一)、被告が、原告主張の日、原告申請に係る本件外債貨の有効化指定申請に対し、原告主張のような内容の通知により原告の右申請を拒否する旨の処分をなしたことは認めるが、本訴はつぎの理由により不適法でである。

本件において、原告は、当初、昭和三三年一二月一三日附を以て、旧外債貨処理法による昭和一八年七月二日附大蔵大臣のなした所有証明を対象として行政行為無効確認の訴を提起していたところ、昭和三四年八月七日右の訴を本件の取消訴訟に変更した。ところで、行政庁の違法な処分の取消を求める訴は、処分のあつたとことを知つた日から六ケ月以内に提起しなければならない。(行政事件訴訟特例法第五条第一項。なお、右六ケ月の期間は同条第二項により不変期間とされている。)原告は昭和三三年一〇月八日付を以て被告から前記通知を受け、原告の申請について拒否処分がなされたことを即日了知している。しかるに、訴の変更による本訴は、右処分の日から六ケ月をはるかに経過して提起されているので、本件訴は出訴期間を徒過してなされた不適法な訴である。

(二)、原告は、被告のなした通知が不明確であつたため、昭和三四年六月五日頃被告の係官に照会してはじめて右通知が拒否処分であることを確知したというけれども、右通知は文面上原告のなした借換外貨債有効化申請に対し、有効化しない旨の意思を表明していることは一見明瞭であり、大蔵省理財局国庫課が被告の補佐機関として、外貨債処理法による借換外貨債の有効化に関する諸条件を処理している部局であることも、原告は数回の陳情、代理人による面接により十分知悉しているのみならず、原告は、昭和二九年九月二七日以降書面または原告代理人を通じての手続の経過において、被告のなした前記通知が、有効化法にもとずく拒否処分に該当することを認識していたのである。

二、本案に対する答弁と反対主張

(一)、請求原因第一項乃至第三項の事実は、原告が本件外貨債証券の所有者であるとの点を除きすべて認める。

(二)、第四項の事実は、本件外貨債証券に穴あけ、記載事項の抹消及び証券を無効とする行為がなされていないこと並びに以下において認める部分を除きすべて争う。

(三)、本件において、借換当時原告が本件外貨債証券の所有者であつたことの主張、立証責任は原告にある。

借換外貨債有効化の申請において、当該証券が有効化の要件を具備することの主張、立証責任は申請者に存するのであつて、被告がその反対の主張、立証責任を負うものではない。有効化法は、その第一条において、本法の目的が、旧法による外貨債の借換に際し、不当な取扱がなされたと認められる者等の権利を回復するため、その不当な取扱により借換えられた外貨債の証券の一部を有効なものとする等の措置を講ぜんとすることを明らかにしている。ところで、本来ある外貨債の有効無効の問題は、当該外貨債の債権者および債務者間の法律関係(私法上)の問題であるのに対し、本件有効化等の措置は、国と私人との公法関係にほかならない。従つて私法上ある外貨債が有効か無効かを論ずる場合には有価証券の法理に基き、外貨債の証券の所持人は、自ら特に権利者たることを証明することなく、当然に証券につき権利を行使し得ることはいうまでもない。しかし本件の如き公法関係において、証券の所持人は何等の証明を要せずして所有者たることの推定を受けるものということはできない。けだし、有効化の指定をなす大蔵大臣は、申請人たる原告との間に私法上の法律関係に立つものではないからである。法第三条による有効化の指定は、国が公権力の主体として、同条第一項各号所定の要件を具備する外貨債証券についてのみ有効化の指定を行うことにより、国にその本来の元利支払義務を負わしめること、換言すれば指定を受けた者に当該証券につき、国に対し借換の日にさかのぼつてその元利支払請求権を取得せしめる(有効化法第四条、第五条参照)行政処分である。そしてかかる権利義務の関係は、同法第三条の要件を具備するか否かによつて定まるものであるから、これにより国に対し権利を取得せんとする者は、権利取得の要件たる第三条所定の各要件事実を主張立証すべきものである。

されば、もし原告主張のように、本件の有効化の指定をなすあたり、証券の所持人は何らの証明を要せずして所有者たることを認められるものとするならば、同法が第三条第一項第一号において、「当該借換について、当該外貨債の証券の所有者の承諾を得なかつたもの」と規定した趣旨は失われるであろう。なんとなれば、同条項は、実質的な所有者すなわち当該外貨債の真の権利者を救済せんとしたものであつて、単なる証券の所持人、すなわち外観上権利行使の形式的資格を有する者を救済せんとすのものではないかからである。従つて、同条項の解釈適用にあたつては、何人が当該証券の所持人であるか否かが問題なのではなく同証券の真の権利者は誰であるかが問題であつて、当該借換が、かかる真の権利者の承諾を得ずして行われた場合にして始めてこれにつき有効化の指定を行うべきものである。故に有効化の指定を受けんとする者は、単に当該外貨債の証券を所持することを主張するだけでは足りず、同証券の真の権利者すなわち所有者であることを主張立証することが必要である。

(四)、原告の父治郎作が、生前アメリカ合衆国シアトル市において農産物仲介業を営んでいたこと、原告が、原告主張の頃大学を卒業し、父の事業をうけ継ぎ、その主張のような会社を設立したこと、治郎作が事実上隠居し、原告の右会社の経営に直接関与しなかつたこと及び治郎作が、原告主張の頃日本に渡航し、その主張の日日本において死亡したことは認めるが、原告が本件外貨債を治郎作と共同で購入したこと及び治郎作が渡航の際原告から金五、〇〇〇ドルを借受け、その担保として原告主張のような担保契約を設定したことは否認する。

(1)、治郎作は、つぎの経緯により、本件外貨債を単独で買入れたものである。すなわち、(イ)、昭和一三年七月二八日および八月一五日に、それぞれ第二回東洋拓殖株式会社六分利附米貨社債千ドル券六通および同二通を各二九五九ドルおよび一〇二六・六七ドル(手数料を含む、以下同じ)で、ワシントン州シアトル市東アルダ二上松郎から買受け、(ロ)、同年八月一二日および同月一五日に、それぞれ第五七回東洋拓殖株式会社五分半利附米貨社債五〇〇ドル券二通および同千ドル券三通を各四五一・〇四ドルおよび一四〇三・八三ドルで、いずれも前同様訴外二上松郎から買受け、(ただし右三通のうち一通は訴外黒岩某に代つて買受けたものであるから、治郎作の買受けたものは右のうち二通であり、その支払つた代価は九三五・八八ドルである)更に同年九月二七日同社債千ドル券五通をシアトル・フアーストナシヨナル銀行を通じて二四三八・九九ドルで買受け、(ハ)、同年八月五日、同月一二日、同月一五日に、それぞれ台湾電力株式会社四〇年減債基金附五分五厘利附米貨社債千ドル券五通、同一通および同二通を各二一八一・五三ドル・四五四、三八ドルおよび九二五・〇六ドルで、いずれも前同様訴外二上松郎から買受け、(ニ)、同和八月一五日横浜市六分利附米貨公債千ドル券二通を一〇一一・三三ドルで前同様訴外二上松郎から買受けたが、右買入のうちフアーストナシヨナル銀行を通ずるものを除き、他のすべては、訴外二上松郎から買入れたもので、しかも、これらは訴外イー・エー・ビアスカンパ

ニーが亡父治郎作の依頼にもとずきニユーヨーク証券取引所において買入れたものであつて、以上の買受けは、もとより原告との共同購入ではない。

(2)、原告は、原告の預金を本件外貨債の購入資金の一部とした旨主張するけれども、当時原告は大学実業科を卒業間もない頃で、会社の経営も漸く緒についたばかりの時であつた。そして、同会社の資本金一万ドルも父から三、〇〇〇ドルを借り入れた残りを原告および他の役員が銀行から借り入れて出資し、その他の会社経営に必要な運転資金のすべても銀行等からの借入れにまつ状態であつて、会社の経営に当つていた原告及びその友人等は給料の一部さえも会社の運転資金に充でる実情であつたから、原告が資金を会社の事業以外に投ずるということは到底考えられない。(なお、同会社が会社設立に際し父及び銀行から借入れた資金は翌一四年末頃にいたつて漸く完済されている。)これに反し、治郎作は、家業を原告に譲つてから後、会社経営の相談に応ずる程度で、特別の仕事はなく、原告の求めに応じ右会社に金三、〇〇〇ドルの融資をする程裕福な状態にあつた。従つて、同人はいわゆる財産三分法の一としての証券への投資をもくろみ、本件外貨債を買入れ、これを資産とし、その利子取入も同人が受領し、原告とは別世帯であつた同人及びその妻、娘二人の生活資金に充てていたものである。

(3)、治郎作は、昭和一五年五、六月頃滞在期間一ケ年の旅券の交付を受けて日本に帰国したが、その目的は一時的な帰郷と旅行にあつて、日本に永住するため、アメリカを引揚げたのではない。(同人は旅券の期限を更に一年間延長する手続をしている。)そして、同人が帰国の身廻品中に、本件外貨債二七通全部の証券名と記号および銀行保管箱の番号を記帳した手帳と同証券二七通全部に関する買付伝票九通および鍵束ケースを持参していることから考えると、同人は唯一の資産ともいうべき本件外貨債証券二七通とその保管箱の鍵等について貴重品手控をとり、当時外国為替管理法により証券の携行が許されなかつた時代であつたから、買付伝票を持帰り、老人にありがちな、金銭その他の自己資産を常に身近かに帯有していたものと推測される。なお、同人は帰国に際し数十万円の金を持参し成功者として故郷に錦を飾り、帰国後は、友人を介し共同事業を企てたり、株への投資を考えたり、隠居所を新築し、田畑、家屋を買入れ、友人に金一万円を融通する等豊かな生活をしているので、渡航費として原告から金五、〇〇〇ドルを借入れなければならない程困窮していたとは考えられないし、仮りに五、〇〇〇ドルを原告に調達させて携行したとしても、その担保として本件外貨債証券二七通に、原告主張のような質権を設定したということは余りに自然の条理に反する。おそらく同人も一時離米するにあたり、本件証券の利札の受取り等の管理は原告に任せたかも知れないが、総額面二万六千ドルに達する本件証券を利札を含めて貸与旅費五、〇〇〇ドルの担保として差入れ、もし戦争の勃発等により帰米不能(返済不能)となつたときは、原告の所有にしてもよいという旨を合意して質入したとは到底考えることができない。

(4)、更に本件証券の所有権取得原因につき、原告の申立は申請手続の経過に応じ、順次変化している。すなわち、原告は最初の申請において、本件証券は家族を扶養する代りに父治郎作から譲り受けたと主張していて、共同購入及び五、〇〇〇ドル貸与金の担保のことについては何等触れるところがなかつたが、その後共同購入(買入資金の構成は申立毎に変つている)或いは貸与金五、〇〇〇ドルの担保としたことを遂次主張するに至つたもので、このように申立が首尾一貫せず、次々と変つていることは、その主張事実が虚構であることを物語つているものであつて、原告主張の所有権取得原因は事実無根の主張である。

(5)、これに反し、訴外渡辺時司は、治郎作の死亡による家督相続に基き、同人所有の本件証券を相続したものであつて、たまたま、旧貨債処理法に基き外貨債は邦貨債に借換えられるべきこととなつたことを知り、亡父の遺品を調査したところ、前記手帳、買付伝票、皮製鍵束ケース等から治郎作が本件証券を買付所有していたことを確認したので、当然家督相続人として本件外貨債を承継所有すべきものと確信し、大蔵大臣から所有証明の交付を受け、各証券の発行者に対し借換の承諾を与えたものである。従つて、本件外貨債の借換については真の所有者である渡辺時司の承諾を得ているからその借換は適法、有効である。原告は本件証券に関し、いまだ嘗て所有権を取得したことがないのであるから、被告が有効化法第三条に則り原告の有効化申請を同条所定の要件を具備しないものとして拒否した本件処分に何等違法の点はない。

第四、被告の主張に対する原告の反駁

一、本案前の主張に対する答弁

原告が、被告主張のとおり訴の変更をしたことは認めるが、被告の昭和三三年一〇月八日付通知は、大蔵省理財局長名を以つてなされており、かつ通知の用語が不明瞭な表現によつてなされていたので、これが果して、原告の有効化申請に対する被告の拒否処分たる性質を有する行政処分であるか否かにつき疑点が残つていたところ、原告は、昭和三四年六月五日頃電話を以つて大蔵省理財局国庫課長に照会し、同課長より、拒否処分であるとの回答を得、はじめて行政行為の存在を確認した次第である。よつて、右処分のなされたことを知つた日から六ケ月以内に訴を変更することにより提起した本訴は適法である。

二、本案の主張に対する反論

(一)、外貨債有効化法第三条の指定について立証責任が、証券の所持人である申請者の側にあるという被告の主張は誤りである。日本の法制は、証券の真の所有者が誰であるかは、まず証券の所持により推定し、所持なき者を以て真の所有者と認めるためには、厳格な法律上の手続を経て裁判所に除権判決をもつてなさしめるようにしている。しかるに本件証券は、旧外貨債処理法によつて本邦内に存在せず従つて除権判決による無効化の方法を執らないで大蔵大臣の所有証明を以つて所持に代えて証券上の権利行使たる借換を認めたもので、そのこと自体問題であるが、有効化法が、大蔵大臣にこのような除権判決なくして、証券の所持がない者に証券の真の所有者として認定する権限を与えたものと解することはできない。被告主張のように証券の所持者に権利者としての立証責任があるとすれば、それこそ真の所有者を救済せんとする右法律の趣旨は失われるであろう。何となれば、無記名証券たる有価証券の場合、その譲渡や担保は証券の所持の移転によりなされ、別に証書を作成しないのが通常であり、特に親子間の場合そうである。しかも戦争中の在米邦人や日系人は、強制移住、動員等で所持品を処分していて、関係書類が殆んど紛失または滅失している。また米国においては、銀行の取引関係書類や官庁等の書類は、一〇年の保存義務期間経過により破棄されるが、本件の場合は、証券の所有及び所持が原告に移転してから一八、九年を経過し、銀行や官庁に関係書類が存在しないため証拠の入手が不可能となつている。更にまた事件の直接の関係人たる父治郎作が昭和一七年二月死亡し、その証言を得る手段さえない情況にあつて、所持者が所有の立証をなすことは極めて困難であるからである。

而も本件のように借換の手続自体に不当の点があつた場合に所持者である原告に厳格なる所有証明を要求することは甚だ不当で有効化法の精神から云つても原告が真の所有者と解すべきである。

(二)(1)、被告主張の本件外貨債証券の買付の日時、相手方は、シアトル・フアーストナシヨナル銀行を通じて買付けた東洋拓殖第五七回五分半利附米貨債千ドル券五通を除き、すべて相違している。被告主張の買付の日時は、訴外二上松郎が、イー・エー・ピアスカンパニーから買付けた日であり、原告と父が共同で同人から買受けたのは、昭和一三年九、一〇月頃である。買付の相手方は、すべて訴外二上松郎で、同人がイー・エー・ピアスカンパニーを通じニユーヨーク証券取引所から買付けたものを、更に原告と父が共同で買付けたのである。

(2)、エー・ビー・プロデユースカンパニーの資金構成、役員治郎作と同会社の関係が略被告主張どおりであることは認めるが、原告に本件証券購入資金の余裕がなく、治郎作が一人で買付資金全額を出したことは否認する。

(3)、治郎作の旅券の有効期間が一年であつて、その後期間延長の手続がとられていることは争わないが、期間を延長したのは、市民権を有しない東洋人として、米国への再渡航の権利留保の手段としてなしたにすぎない。治郎作は帰国の際古い領収書その他多くの書類を持帰り帰国後半年にして隠居所としての家を買受けこれを改築して時司夫妻とは別居して祖母と一緒に住み、原告にジウタンを送らせているが、これ等の事実は同人が日本に永住する積りで帰国したことを裏付けるものである。

被告主張の買付通知書は、たまたま治郎作が持帰つた多くの古い書類束に混入していたもので特に貴重品として保管してあつたのではない。手帳も何時記入したのか判らないし、鍵束の鍵は本件外貨債証券を保管していた保管箱の鍵ではない。また、治郎作が数十万円を持帰つたというのはクイズ的推理にすぎない、同人が帰国後買受けたのは前記隠居所一棟であり、一万円を他に貸与したのは再渡航の予備金としていたのが戦争のため不要となつたので、利殖の方法として融資したと推測しても決して不自然ではない。治郎作は死亡当時わずか四、五〇〇円を残していたにすぎない。治郎作が帰国に際し無理に五、〇〇〇ドルを原告に調達させたことが理解される所以である。被告は、原告が五、〇〇〇ドルを父に貸与し、本件証券に担保権を設定したことを以て自然の条理に反すると主張するが、右のような契約をしたのは、右金五、〇〇〇ドルは、原告がエー・ビー・プロデユースカンパニーから借受けて貸与したものであつて、当時取引銀行からの借入金の返済が予想されていたのと、右五、〇〇〇ドルの金利の外、残された家族に収入がなく、病身の母、妹の療養費、末妹の学費等の入費に緊急の資金が必要とすることも考えられ、その扶養の責任を負つている原告に本件証券を取得させておく必要があつたからである。また、本件証券の買入額は約一万二千ドル余で、昭和一五年五、六月頃には、外貨債の市中価格は更に低落しているから、国際情勢に支配され易い危険な外貨債を五、〇〇〇ドルの担保とすることは価格の面からいつても相当であつて、決して条理に反するものではない。なお、外国為替管理法による外貨債の輸入の禁止は、昭和一五年八月頃に至り特別許可により許されることとなり、多くの日系人が戦争発生による危険を避けるためこの特別許可により多額の外貨債を日本に輸入している。もし治郎作が、本件証券の所有者であれば、同人も右の方法をとつたであろうと推量し得るのに、同人が右の手続をとらなかつたことは、かえつて、本件証券が、原告と治郎作の共有であつて、担保に供されていたことを証するものである。

(4)、本件証券の取得原因についての原告の申立が変化しているのは、つぎの理由による。

(イ) 本件証券が、亡治郎作のものならば、敵産として有効化法第三条第三項により米国への賠償金に充当されていた筈のものである。ところが、本件証券は、開戦前から原告の所有としての取扱を受け、原告は外貨債の利息の受領につき所得税を支払つていたので、本件証券の有効化は、問題なく許容されるものと考えていた。

(ロ) 米国においても、また国際通念としても、外貨債が正当な所持者の関与なしに借換えること自体不当であつたため、原告は日本国政府において有効化の措置をとつたものと考え、当初の申請の際「前主」とか「取得理由」または「取得の時期」について特別の注意を払わなかつた。

(ハ) 本件証券の購入は昭和一三年で記憶がうすれていたところえ、有効化申請についての折衝の必要に応じ、断片的に原告代理人から情報を求められ、その都度宣誓口述書を送付した。

(ニ) その後、原告代理人から事項別の詳細な問を受け、たまたま古トランクから銀行預金通帳を発見したのでそれに基いて判明した本件証券の買付日時、治郎作帰国の前後における金銭取引等の詳細を回答した。

以上の経緯によるものであつて、原告の申立に記述の不足や多少の変化があるのもやむを得ないところであり、これを捉えて原告の主張を事実無根というのは不当である。

(5)、訴外渡辺時司が本件外貨債の所有権を相続により承継したことは否認する。同人は本件外貨債の所有権を取得していないから、同人の承諾によつてなされた借換は無効である。

第五、証拠関係〈省略〉

理由

第一、訴の適否について。

被告が昭和三三年一〇月八日付の通知を以て、原告の外貨債有効化指定申請を拒否する旨の処分をなしたこと及び原告が同年一二月一三日提起した行政行為無効確認訴訟を昭和二四年八月七日本件取消訴訟に変更したことは当事者間に争がない。

被告は、右変更に係る本件訴は、出訴期間を徒過した不適法な訴であると主張する。しかしながら、右変更前の行政行為無効確認訴訟(旧訴)と、変更後の本件取消訴訟(新訴)を対照し、かつ、弁論の全趣旨とその経過に徴すると、前者が旧外貨債処理法によつてなされた大蔵大臣の証明行為を訴の対象とし、後者が直接外貨債有効化法による有効化指定申請の拒否処分を訴の対象としている点において異るが、共に借換当時本件外貨債証券の所有者が原告であることを理由としている点において、その軌を一にしているばかりでなく、原告は、旧訴の訴状において、既に、被告が、原告の有効化申請を容認しなかつたことを不服とする趣旨を表明していることが窺われるので、本件においては、旧外貨債処理法と外貨債有効化法との関連を考慮し、かつ、訴の変更を許した民事訴訟法第二三二条の規定の趣旨をも参酌して、出訴期間については、訴の外形にとられることなく、恰も行政行為無効確認訴訟が、取消訴訟に変更された場合と同様に解し、旧訴提起の時を標準として期間が遵守されたか否かを判定して差支ないものと解するのが相当である。しかして、本件において前記行政行為無効確認の訴が、本件拒否処分のなされた昭和三三年一〇月八日から六ケ月以内である同年一二月一三日に提起されたことは、当事者間に争いがないから、本件訴は出訴期間の遵守に欠くるところがないものというべきである。

よつて、本件訴は適法である。

第二、本案について。

一、当事者間に争のない事実と争点

請求原因第一乃至第三項(原告が本件外貨債証券の所有者であるとの点を除く)及び本件証券に穴あけ、記載事項の抹消その他証券を無効とする行為がなされていないことは当事者間に争がないから、本件の争点は、本件外貨債が、借換の際所有者の承諾を得ていなかつた場合に該当するか否か、換言すれば借換当時原告が本件外貨債の真の所有者であつたか否かにあるわけである。

二、主張、立証責任について。

(一)  原告は、本件外貨債証券の借換当時原告が本件証券の所有者でなかつたことは、処分庁たる被告において立証すべき責任を負う旨主張するので、この点について考察してみると、いわゆる立証責任の分配は、行政訴訟においても、適用すべき各法規につき客観的抽象的に定まつているのであつて、すべての場合に、被告たる行政庁が処分の適法性についての立証責任を負うものではない。外貨債有効化法第三条は、旧外貨債処理法により邦貨債に借換えられた外貨債のうち、同条第一項所定の要件を具備するものにつき、大蔵大臣において、その指定をなし、よつて無効化された外貨債に新な効力を附与する旨の規定であるから、右要件の具備することの立証責任は右要件を具備することを主張して同条の指定を求める側にあるというべきである。従つて、本件においては、同条の指定を求めてこれを拒否された処分の違法を争う原告が、同条所定の要件、すなわち原告が本件外貨債の所有者であることを主張してこれを立証しなければならない。

(二)  つぎに、原告は、有価証券の理論を援用して、本件外貨債証券は原告が所持しているから所持人である原告は、当然に所有者であることの推定を受ける旨主張する。しかしながら、右主張は、おそらく本件外貨債証券の性質に対する誤解に基くものであつて、正当でない。すなわち、本件外貨債が旧外貨債処理法により借換えられたものであることは、原告も自認するところであるが、同法による借換済の外貨債証券は、同法第四条第一項により無効とされているので、当該証券は借換と同時に有価証券としての効力を失い、その限りにおいては、一片の紙片に異らない。しかして、このことは借換に瑕疵があつたか否かを問わない。むしろ有効化法第三条は、借換に同条所定のような重大な瑕疵あるものの救済を図つているものである。されば、原告の所持する本件外貨債証券も、有効化されない限り、有価証券としての効力を具有しないのであるから、紙片として民法上の動産占有の推定を受けるのはともかく、有効化の指定につき、原告主張のような有価証券法理上の推定を受けることはないといわねばならない。

そうすると、原告が、本件外貨債証券を所持するということだけで、直ちに証券の所有者であるとの推定を受けるものでなく、まして所有者と認定されることはないのであるから原告は更に進んで、原告が本件外貨債証券の所有者であることを主張、立証しなければならない。

三、本件外貨債証券の所有権取得原因の有無について。

原告の父亡渡辺治郎作が、生前アメリカ合衆国シアトル市において農産物仲買業を営んでいたこと、原告が昭和一三年大学を卒業し、同年四月エー・ビー・プロデユースカンパニーなる会社を設立し、父の事業を受け継ぎ、会社の経営に当つたこと、それ以後治郎作は、営業の相談に応ずる程度で、直接事業の経営にはたずさわらなかつたこと、その頃(但し日時の点は、同年七、八月頃か同年九、一〇月頃かにつき双方に争がある)本件外貨債が、順次合計約一二、〇〇〇ドル余を以て訴外二上松郎から買受けられたこと、(買主が原告と訴外治郎作の二人の共同か否かの点は後で説明する)右治郎作が昭和一五年五、六月頃日本に帰国したこと、同人の旅券期間が当初一年であつたが、その後期間延長の手続がなされたこと及び同人が昭和一七年二月一二日日本で死亡したことは、いずれも当事者に争がなく、以上争のない事実に、第三者の作成文書で当裁判所が真正に成立したと認める、甲第五号証、同第六号証の一、成立に争のない同第一一号証の一乃至四、証人渡辺時司、同伊藤辰次郎の各証言を綜合すれば、治郎作は、明治四三年頃渡米し、鉄道工夫、農業等の仕事に従事した後、前記農産物仲買業を営んでいたが、昭和一三年原告が右の事業を引継いでからは事業の業績も漸く挙るようになつたので、経営の一切を原告に任せていたこと、同人は原告が設立した前記会社の取引銀行でもあつたシアトル・フアーストナシヨナル銀行に原告と共同名義の預金口座を持ち、原告と共同で同銀行の保管箱(第三、三二三号)を賃借していて、本件外貨債証券も買付後同保管箱に保管され、右預金口座に利子の受払がなされていること、治郎作は、アメリカに妻と四人の子供を持つていたが、原告の兄は既に独立し、妻と娘二人の面倒も原告からみて貰えるようになり、他方日本では、長女花子とその婿養子渡辺時司夫妻(身分関係は当事者に争がない)が静岡県の郷里を守つていたので、漸く隠居のような気楽な気になりアメリカと日本を往復して老後を送り度い希望であつたこと、治郎作は在米中数回日本に帰国したことがあつたが、昭和一五年の帰国の際は、アメリカの後事一切を原告に托して帰国したが、なお再渡米の意思は失つていなかつたこと、同人の右帰国当時本件外貨債証券は前記銀行の保管箱に保管されたまゝであつたが同人は他の書類と共に、本件外貨債の買付通知書、証券の金額記号番号及び保管箱の鍵番号を記入した手帳を持帰つていること、帰国後は、隠居所として家を買受けこれを改築して同人の母と共に住み、旅行などして暮していたが、戦争のため再渡米の意を果さず、昭和一七年二月郷里で病没したこと等の事情を認定することができる。原告は、昭和一五年治郎作が日本に帰国したのは、日本に永住する目的であつた旨主張するけれども、右事実を認めるに足る確証はなく、他に以上の認定を左右するに足る証拠はない。

そこで、右の認定事実を前提として、以下原告主張の本件外貨債の所有権取得原因の有無について判断してみよう。

原告は、本件外貨債は、原告と治郎作が共同で購入し、持分二分の一宛の共有であつたところ、昭和一五年同人の帰国に際し、金五、〇〇〇ドルを貸与した担保として同人の持分につき代物弁済条項附質権を設定した旨主張する。

(一)  まず、本件外貨債が、原告と治郎作の共同購入に係るか否かについて、判断するに購入資金の大部分が治郎作の妻の保険証券を現金化したものによつて賄われたということは原告の自認するところであり、証人伊藤辰次郎の証言によると若干の金が原告から支出されたことを推認できないでもないが、その金額及び何時どの証券の購入にどのように支出されたかについては、甲第一七号証によつても明確とはとはいえず他にこれを認めるに足る確証はないのみならず、原告が本件外貨債証券の共同買主として資金を支出したということについては、乙第五、六号証の記載は、後記の反対証拠を対比してたやすく信用できない。もつとも甲第一九号証によると、シアートル・フアストナシヨル銀行を通じて買付けられた証券の支払いが、前記エー・ビー・プロデユースカンパニーの勘定でなされていることが認められるけれども、これだけから、右証券の買付が原告との共同買付であつたと認めることはできず、他に本件外貨債が、原告と共同で買付けられたことを認めるに足る証拠はない。かえつて、成立に争のない乙第一号証の一、同第四号証(一部)、同第一一号証(一部)に前記伊藤証人の証言を綜合すれば本件外貨債は、ある程度原告から資金の援助はあつたとしても、治郎作は中々の企業家であり而も金銭的にはしまり屋で本件証券も妻の保険証券の換価金等により、自己の資産として個人で買入れたもので同人の単独所有であつたと推認できる。

(二)  つぎに、昭和一五年治郎作の帰国に際し、原告が金五、〇〇〇ドルを同人に貸与し、原告主張のような担保権が設定されたか否かについてみるに、同人が帰国の際金五、〇〇〇ドルを携行したことは前記伊藤証人の証言によつて認めることができるが、右金員が原告から治郎作に貸与されたということは、乙第四乃至第六号証、同第一一号証、甲第一五、第一六号証の各記載は、にわかに措信できず、他に右事実を確認するに足る証拠はない。かえつて、右伊藤証人の証言によれば、右金員は原告から貸与されたものではなく、治郎作が、原告に無断で、エー・ビー・プロデユースカンパニーから金五、〇〇〇ドルを引出して持帰つたものであつて、そのため同会社の運転資金に不足を来し、原告は本件外貨債を利用することによつて急場をしのいだ事情を窺うに十分である。

(三)  以上により、原告が本件外貨債の所有権取得原因として主張する事実は、すべてこれを確認することができない。もつとも、治郎作が、昭和一五年帰国当時、原告と共同名義の保管箱に保管されていた本件外貨債の管理一切を原告に委ねたであろうことは、さきに認定したところから十分認めることができるし、治郎作のアメリカ及び日本における生活関係、昭和一五年帰国当時の事情に、証人渡辺時司、同伊藤辰次郎の各証言を綜合し、更に、弁論の全趣旨を参酌して、亡治郎作の真意を忖度すれば、同人は日頃アメリカの財産は原告に、日本の財産は時司夫妻に譲る内意であつたことを推察するに難くないが、右意思が明示されたとの証拠はなく、また治郎作は生来金銭的には厳格であり、昭和一五年帰国の際、本件外貨債に関する書類を携行し、同人に再渡米の意思があつたことから、当時同人は、本件外貨債証券をなお自らの所有に保有する意思であつたことが推認できるので、離米に際し、同人が前記内意を黙示的にも外部に示したと考えることは困難であり、その後同人の内意が原告に伝達されたという証拠もないから、治郎作の内意は内心の意思として同人の胸中に秘められたまま同人の死亡によりその効果を生じなかつたというの外はない。

第三、結論

原告が、治郎作帰国後、日米戦争の勃発、同人の死という事態に遭遇し、本件外貨債証券の所有権を取得したと考えるに至つたことは前記認定の諸事情から見て尤もなことではあるが、本件に顕われた一切の証拠を検討しても、本件外貨債が原告の所有に帰属したことを確認することができない。そうすると原告が、本件外貨債証券の所有者であることを前提として、本件拒否処分の取消を求める本訴請求は結局失当として棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 下門祥人 桜井政雄)

外貨債目録

名称

記号

額面

第二十五回東洋拓殖株式会社六分利附米貨社債

第三四七五号

第三四七六号

第四四六七号

第七二八九号

第一二九一七号

第一四四〇五号

第一四四〇六号

第一四五一八号

一、〇〇〇ドル

八枚

第五十七回東洋拓殖株式会社五分半利附米貨債券

第一六二一号

第一六二二号

五〇〇ドル

二枚

第一八一七号

第一八一九号

第一八二〇号

第一八二一号

第一八二二号

第一六九八一号

第一七〇四四号

一、〇〇〇ドル

七枚

台湾電力株式会社四〇年減債基金附五分五厘利附米貨社債

第一一七一号

第一一七二号

第一八五九号

第一八六〇号

第二二二八号

第一〇五〇四号

第一〇五〇五号

第二一九七〇号

一、〇〇〇ドル

八枚

横浜市六分利附米貨公債券

第二六〇二号

第二六〇三号

一、〇〇〇ドル

二枚

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